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讃岐東照宮 ???

category - 旅先のひとコマ
2011/ 05/ 24
                 
東照宮の別院が屋島に有ったとは!?

屋島神社 存在は知ってたのですが訪れるのは初めてです。

四国村、駐車場の上 通りから見えずちょっと奥まったと処に在ります。


少し長~い石段 を登って境内へ入ると見事なツツジのお出迎えです!

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案内板に ”讃岐東照宮” の説明書きに

 徳川家康公 と 高松藩主第八代松平頼儀公 が合祀されていると  


左甚五郎の子孫、 左利平忠能が名跡を継ぎ讃岐東照宮の彫刻彫金等を棟梁

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四国村より、いっそう落ち着いた雰囲気で 景色が素晴らしい!

周り一面、息を呑むほどに 鮮やかなツツジの花が咲いていました


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広い境内には、私達と年配の3人連れが一組だけ 贅沢な空間でした。

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閑静な境内から下に続く道には長く伸びた観光客の車列が見える

不思議な気持ちです、此処に来る人は誰も居ないのですから!



大きな地図で見る  

 隠れた名所を見つけ、なにやら得をした気持ちです

 息子の写真の出来? ・・・現像が上がるのが楽しみです!

            

由緒書より引用
当神社は慶安五年(1652年)高松藩主松平頼重公が香川郡宮脇村の本門寿院境内に社殿を建立し東照宮の神霊ほ奉斎したのにはじまる。以来山王社として歴代藩主は崇敬してきたが文化元年(1804年)当時の高松藩主第八代松平頼儀公は、この風光明媚な屋島山麓に社殿の造営に着手し、文化十二年(1815年)に完成した。その造営費は当時の金額で約十四万余金と言われている。その後明治四年には冠獄神社と改称しさらに明治七年屋島神社と改称同年県社に列せられ明治十五年藩祖松平頼重公を合祀して崇敬していたが、昭和四十八年二月十二日思わぬ不慮の災害に会い、本殿、拝殿等を全焼したが辛うじて唐門は火災から免がれ無事であったことは不幸中の幸いであった。翌年十一月には再建現在に至っている。彫刻等は、唐門が三分のニを占めており、江戸時代の粋を極めた美術工芸品は見事なものばかりで、中でも正面上部にある鳳凰の鳥、御門の両側の柱にある上り龍、下り龍等は格別のできばえである。棟梁は、左甚五郎の六世、五代目の左利平忠能が父の名跡を継いで高松藩松平家の客分棟梁となり、文化十二年四月に藩命を受けて讃岐東照宮の彫刻彫金等を棟梁し、完成したものである。

マンツーマンの英会話講師・英語家庭教師

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